変なやつの変なブログ

猫とゲームと何かで塗り固められた何か

いつまで子供でいられるのだろうか

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 気がつけば2020年を通り越して2021年。2020年があんな激動の年になるとは予想だにもせず、私は昼飯の代わりに黒飴を舐めて過ごす毎日だった。
 前回の更新が2018年。2,3年前と考えると大して時間が経ってないように思えるが、2019~2020年は私にとっても激動の毎日だったし、今もその激動の延長線上というか、激動の真っ只中というか、そういう感じになっている。

 まず、ゲーム会社に就職した~。イェ~イ。
 ゲームを作れるようになりたい、というのは中学生からの将来の夢だったので、その夢が叶ったということになる。
 高校時代に読んだ本だかネット記事だかで、将来の夢を叶えられる人は3割にも満たない(うろ覚え)的なことが書いてあったので、それが真実ならば私は相当ラッキーな人間ということになる。イェ~イ。

 二つ目、一人暮らししてる~。イェ~イ。
 実家に居座っている兄がウザくてウザくてしょうがないので、給料を半年くらい貯めて家を出た。出た、と言っても電車で片道2時間くらいの場所なので、いつでも帰れる距離ではある。
 コロナウイルスの影響で会社がリモートワークに移行したので、丁度その直前に引っ越せてホッとしている。やはり私はラッキーな人間なのだ。ラッキーマンだ。イェ~イ。

 三つ目、ウェブサーバーを立ててテキストサイト的なのを作って日記を書き始めた~。イェ~イ。
 この、誰も見ていない且つ高校時代に書いた黒歴史パンパンのブログとは別に、raspberry pi 4とかいうやつをウェブサーバーとして、自分でhtmlをウニャウニャしてサイトを作り、3日に1回程のペースで更新をしている。
「サーバー?あの、ビール出てくるやつ?」
 とか言っちゃう知識量だった2年前と比べたら雲泥の差である。この知識を得られたのも、会社の上司の影響を受けたからだ。またまたラッキーだ。ラッキー。ハッピーうれピーよろピくねー。イェ~イ。

 四つ目。日々襲い掛かる喪失感に苛まれている~。やべ~。
 異変に気付いたのは、会社に出勤するようになってから半年経った頃である。自分は今、人生の目的を失っていると明確に気が付いた。
 思えば中学生の頃から、ゲームを作れるようになりたい、ということのみを目標に生きてきた。その為には物理や数学やプログラムの勉強が必要、と言われれば勉強したし、ゲームに詳しくなければいけない、と言われれば幾らでも情報収集をした。生まれて初めてゲームを作れた時は、内容こそクソゲーに違いないが、これ以上無いほど嬉しかった。それからは猛スピードで幾つもゲームを作成し、友人や教師、企業からもそこそこ高い評価を得られるようにもなった。
 ところが、その時点で私の情熱は終わっていたのだ。私の目標は「AAA級タイトルの超大作RPGを作る」とか「個人ゲームディベロッパーになって一儲け」とかではなく、ただただ単純に「ゲームを作れるようになりたい」だけだったのだ。パソコンを手にし、C言語でゲームを作って、喜んで、それだけで私の目標は達成してしまった。後は全部、惰性であったことに気が付いた。

 「ゲームプログラマーやプランナーなんて、もはや華の職業でも何でもなくて、ただのサラリーマンと同じだよ」と誰かが言っていたのを思い出す。まさしくその通り。ゲーム会社に入って、将来の夢が叶ったかと思いきや、待っていたのは何てことない一般サラリーマンだ。いや、何てことない一般サラリーマンで、何の不満も無い。一部の上司は無愛想で怖いけど、ブラックな要素は今のところ見当たらないし、ちゃんと給料もボーナスも入る。
 問題は、今の私に何の情熱も無いことだ。会社に所属している以上、何か会社の為に勉強するなり成果を出すなりするべきなのだろうが、自分でも驚くほど何の意欲も湧かない。社会人なんてそんなもの、と言われればそうなのかもしれない。だが、意欲を以て得られたものが無気力とは、何とも面白くない話である。まるで、縁側に座って日がな一日庭を眺めるだけの老人になった気分だ。自分の寿命を考えると、余生にしては長すぎる。

 ……とこのように、一人暮らしで独りの時間が増えると、鬱々とした考えに支配されてしまうことがよく分かった。閉じたコミュニティに居続けることで特定の思想信念が強化されることを"エコーチェンバー現象"と呼ぶらしいが、私は自分の脳内でそれをやってしまっている。ひと度「私は駄目だ」と思ってしまえば、別の自分がそれを肯定し、さらに根拠が付与され、増強された自己批判が脳内を駆け巡ってしまう。
 こういう反芻思考は、リアルに「やめろ」と言うことで停止させることができるので、もっぱら一人でいるときは一定時間毎に「やめろ~」と額をペチペチ叩いている。ここまで書いておいてなんだが、自分、ヤバい奴になってないか?

 最近の自分の楽しみは、おいしいものを食べて、面白いゲームをやって、面白い映画を観ることだ。これらは今の自分にとって、生命を存続させるに足る理由となっている。子供の頃から好きだったことだが、当時は食事や映画鑑賞など生きる理由でもなんでもなかった。
 子供だった自分にとって、生きる理由など無かった。当然、死ぬ理由もなかった。ただそこにいて、何となく面白そうなものに手を出して、楽しんだり喜ばれたりしていただけだ。「仕方なく生きるためなら、せめて面白いものに触れていよう」なんて、思いたくなかった。情熱が無いとか、やりたくないことをやらなきゃいけないとか、お金が無いとか、生きるとか死ぬとか、そういう面倒なことなんか考えずに、面白そうなものを面白く消費するだけの子供でいたい。自分は大人になりました、なんて口が裂けても言いたくない。

 そんなこんなで、今日も私は甘くておいしい黒飴を舐めながらゲームをやって余生を過ごしている。黒飴、steam、アマゾンプライム三種の神器を忘れずに。